私の生き様 Part2

私は、生まれた時トイレだったという話をしました。

 

当時は自己否定の1つとして私の中で埋まってました。

 

そしてもう1つ、更なる自己否定が出てきました。

 

それは

私は生まれた時から、口元右側に赤あざがついてることです。

 

他の人は顔に何も付いてない。

大きなあざとかほくろなんてない。

 

なんで私だけ?とコンプレックスでした。

当時はコンシーラーというものも知らず。

 

ただでさえ、小3からいじめを受け

全く学校で話が出来なくなり一人で居ました。

顔さえ上げられなくなったんです。

 

自己否定の塊でした。

 

私の生き様、自己否定の1番は

最初に出てきた

中2の時の文化祭での出来事です。

 

これこそが私の中で最大限の自己否定のきっかけになりました。

 

私は

「自己否定し続け、みんなから全否定され、人として生まれて理由が分からないと思ってた期間があったからこそ誕生日をテーマにしたい」

 

そう思うようになったのです。

 

 

 

私の生き様 Part1

私がこれからやりたいことの一つに

 

「誕生日」があります。

 

なぜやりたいのか?

それは私の生き様から来ています。

 

小3のいじめを受けてから、布団に寝転がり天井を見ながら

 

“なぜ生まれたのか”

“なぜ心臓があり手も足も動くのか”

 

頭の中でよぎってました。

 

 

実は私。

最初に私が生まれた場所が

 

「トイレ」です。

 

???トイレ?

 

詳しく話すと

トイレで母親が踏ん張った時

 

私の頭が出てきたというのです。

 

気付いた母親が病院に連れて行き、私が生まれました。

 

その後、いじめの後に

「トイレに落ちて死ねば良かったのに」

 

本気で思いました。

 

冷静に考えたら

落ちても死にません(笑)

 

今では笑い話ですが、当時は本気で考えてました。

 

実はもう1つ

私を自己否定になるきっかけがありました。

 

それは次に続きます。

 

 

 

私の経験

「根っからのクリエイター」としてあげた、私の生き様。


皆さんはどう思われましたか??


ただ、こんな人もいるんだなとか

勇気もらえた。そう、思ってくれたら幸せです。


私は生き様を「この人になら話してもいいな」と思う人しか今まで話ししてきませんでした。


ですが、こうしてブログで公開した理由としては


「この生き様が誰かの心に火をつけ

勇気を与えて一つ一つ進んで欲しい」と思ったからです。


私の生き様で

誰かの生きる希望になってくれたら

これほど嬉しいことはありません。


この経験は今はとても幸せな宝物です。

根っからのクリエーター

2018年2月1日。私は個人FBにて「誕生日アニメ」を公開した。

 

“生まれてきてくれてありがとうと誕生日に言い合う社会を作りたい”

“誕生日をテーマに何かしたい”

“私の生きざまを伝えたい”

 

いろんな思いが重なり、アニメなんて作ったことがない私が

1か月かけて作成し完成したアニメ。

 

しかし、1時間もボタンを押すことができなかった。

押すのが怖かった。

 

時間だけが過ぎていく中で

とある言葉が私の中で出てきた。

 

“今日人生最期の日だったら??”

 

・・・私は公開したい。

そう思い、思い切ってボタンを押し公開した。

 

この後、

2018年4月に2作目公開、私の誕生日である12月に3作目を公開した。

 

なぜ誕生日なのか?

それは私の生きざまにある。

 

 

 

私には一生忘れることのできない出来事がある。

それは、中学2年の文化祭で起きたあの経験。

 

文化祭前に全校生徒にアンケートが配られた。

内容は「この学校で頭がいい人は?」「この学校でやさしい人は?」

こんなニュアンスな内容が10問程度あった。

 

結果は文化祭のエンディングで発表するとのこと。

 

ついに当日。文化祭では合唱コンクールや演劇などあった。

ついに結果発表の時。

アンケートで最高得点の人が

1人づつ呼ばれステージに上がっていく。

 

そして

私もアンケートの最高得点をもらったみたいだ。

 

その賞は・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・

 

「キモイで賞!!あきやまさちこ!!」

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

私は

 

どうやってステージに上がったかも覚えていない

 

小学3年にイジメに遭い、

 

「私にはなんで心臓があって手も動いて呼吸ができるの」

「なんで生まれてきたの」

「存在価値はなんだろう」

 

それまで人と話せたのに、全く人と上手く話せなくなり

それ以来

学校ではいつも1人でいた。

 

地元は約8000人の小さな町。

 

1人でいたのが珍しいと思ったのかもしれない

 

賞をもらいステージに上がり

そこで見た光景は

 

全校生徒200人が嘲笑う顔をして

私を見て大爆笑する光景だった

 

この光景が未だに忘れられない

 

それ以来

私は

「人と関わること」を辞めた


「人と関わらないこと」 を決めた


みんな敵としか思えなくなった

 

それ以来、現実逃避に走った。

頭の中での世界

 

何言われても、その場所だけが私の救いの場所だった

 

その後

・半年間のひきこもり

・人と関わりたくなく、でも生活費を稼ぐために清掃のバイトしたり

・多重人格だと分かったり

・カウンセリングで文化祭のことを思い出し5分間「死ね死ね死ね死ね死ね!!!」と叫び続けたりした

 

人に対して上手に付き合えないまま

30歳になった。

 

相変わらず人と距離を置いていた。

自分が何を思っているのかさえ分からなかった。

 

「近づきたい・・でも・・・」

近づくとみんな私を拒否するのではないか?

私を嘲笑うのではないか?

文化祭の出来事はとっくに終わったことなのに心の中で思っていた。

 

そんなある日、私は引っ越しパーティに呼ばれた。

10人くらいわいわい話してたが

上手く溶け込めず、黙って帰ろうとした私に声を掛けてくれた人がいた

 

「人と関わったほうがいいよ」

 

は?何言ってんだ。そんな気持ちが出てきた。

 

その1カ月後にも

 

「人とのつながりを大事にした方いいよ」と言われた

 

同じことを連続して言われるなら、私の考えを改めようと思い

そこから自己啓発をはじめた。

 

私は自己啓発はじめて

「どうやったら文化祭の出来事を乗り越えられるんだろう」

 

そうずっと思ってきたんだなと気付きはじめた。

 

乗り越えたくて

中学の卒業アルバムを叫びながらビリビリに破ったあの時

 

ひきこもりの時、テレビで見た樹海へ自殺したくて

地元北海道から出るときに樹海がある静岡へ転職したこと(結局1回も行ったことはない)

 

時間はかかったが

そんな、私の経験は「宝物」だと思えた。

 

この経験が誰かを救うと

私も頑張ろうと思える人が一人でも出てくるのではないか

私の経験はだれかの役に立つ

 

やっと、私のことを抱きしめられた瞬間だった


 

そんな中

当時、経営者やフリーランスの方と関わるようになり

ライスワークと別で「何で仕事したい?」と考えるようになった。

 

カラオケ好きだから、カラオケトレーナーかな?とも思ったが

腑に落ちなく何したいのか悩んでいた。

むしろ、普通に会社員として過ごす道もあるのではないか?

そう思う自分もいた。

 

そんな中、とある言葉が私の中にとどまった

 

「今日は私の誕生日。私の両親が親になった日」

 

びびっときた

 

「誕生日が私のやりたいこと」

そう思い、誕生日で何ができるのか模索した

 

私は他の人と一緒じゃいやみたいで

 

誕生日プランナーになったら?とか

数字で占うのはどう?とか

誕生日を祝うパーティの会社は?とか

 

言われたが

腑に落ちなくて右から左だった

 

そして、思い出した

私は昔マンガ家になりたくてイラスト描いていたこと

現実逃避の中の物語を作りたくて、退学したけどアニメを作成する専門学校へ行ったこと

 

そうだ、

私が浮かぶ「誕生日」をアニメにして書こう

 

そう決め作成した。

タブレットも購入し、アニメ作る方法を探し公開した

 

私は「生まれてこなきゃよかった」

本気で思っていた

 

だからこそ

 

「生まれてきてくれてありがとうを誕生日に当たり前に言い合う社会を作りたい」

このミッションが出てアニメを作成した

 

3作を作成し、みんなが思うアニメには遠いが

作成してよかったと思っている。

 

私は私のままで

ありのままでいいと

本気で思えた経験になったから

 

人と比べないで

上辺だけで自ら覆い作るんじゃなくて

マイナスな自分も

プラスな自分も好きでいたいと思えた

 

誕生日についてもっとつきつめたいが

根っこの深く奥にある気がするので

周りからはぎ取る作業をしていくことにした。

 

 

それは

・オリジナル小説

・オリジナル音楽

 

他にもまだ出てくるが

 

きっと私は

 

「根っからのクリエーター」なのだ

 

他の人とかぶりたくないし

誰か1人でも私のことを認めてくれる人がいればいいと思っている

 

そう思えたのは

憎き文化祭の出来事があったおかげなので

今はアンケートに「キモイで賞」を作ってくれて感謝している


人と二度と関わらないと決めた私だが


なんだかんだ、人に貢献したいと思えてるので人生面白いものだ


私には夢がある


今33歳。


「40歳の誕生日の時に、私が心から仲のいい200人に体育館で祝われること」


その為には、私なりに貢献していき

私が心を開いた

大切な200人を見つけていくことが

これからの私の楽しみだ。

 


これからも迷うかもしれない

 

でも迷ってもいいじゃないか

 

迷っても、私は前を見て歩き続けるから

 

 

 

 #「迷い」と「決断」

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
Sponsored by イーアイデム